2018(平成30年)第20回記念大会
雨にも負けず最多9812人、駆ける
20回記念大会は雨の中、国内外から過去最多の9,812人が出走、新緑の鮮やかな長野の街を駆け抜けました。沿道では、多くの市民らが傘を差しながら、温かな声援を送り、吹奏楽の演奏などで盛り上げました。
女子は古瀬麻美選手(京セラ)が初優勝し、17年ぶり2人目の女子日本人覇者となりました。8,499人が完走し、完走率は86.62%でした。
女子は古瀬麻美選手(京セラ)が初優勝し、17年ぶり2人目の女子日本人覇者となりました。8,499人が完走し、完走率は86.62%でした。
大会日時 | 2018年4月15日(日)8:30START |
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申込者数 | 11,325人 |
出走者数 | 9,812人 |
完走者数 | 8,499人(完走率 86.62%) |
参加国および地域 | 37ヵ国・地域 |
男子1位 | アブデラ・ゴダナ(エチオピア)2:13:54 |
女子1位 | 古瀬 麻美(京セラ)2:34:09 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/16朝刊)
2018年の主な出来事
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2017(平成29年)第19回大会
過去最多の出走者数。
気温の上昇から完走率が初の8割以下に。
過去最多の9,663人が出走。晴天に恵まれ、スタート時から気温はぐんぐん上昇し、13時30分には23.0℃に。完走率は77.86%と初めて80%を切りました。
男子は伊藤太賀(スズキ浜松AC)が初優勝。日本人選手の優勝は4大会ぶり2度目でした。女子は長野市出身の小田切亜希(天満屋)が4位に入り、地元出身選手として初めて国内トップとなりました。
また、今大会はポスターやTシャツ、フィニッシャーズタオルなどのビジュアルを一新。コース上のそれぞれの五輪施設をモチーフにしたイラストで構成されたものになりました。
男子は伊藤太賀(スズキ浜松AC)が初優勝。日本人選手の優勝は4大会ぶり2度目でした。女子は長野市出身の小田切亜希(天満屋)が4位に入り、地元出身選手として初めて国内トップとなりました。
また、今大会はポスターやTシャツ、フィニッシャーズタオルなどのビジュアルを一新。コース上のそれぞれの五輪施設をモチーフにしたイラストで構成されたものになりました。
大会日時 | 2017年4月16日(日)8:30START |
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申込者数 | 11,024人 |
出走者数 | 9,663人 |
完走者数 | 7,524人(完走率 77.86%) |
参加国および地域 | 40ヵ国・地域 |
男子1位 | 伊藤 太賀(日本)2:14:39 |
女子1位 | レイチャル・ジェムタイ・ムトガ(ケニア)2:33:00 |
- 大会ポスター
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2017年の主な出来事
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2016(平成28年)第18回大会
強風に苦しむランナー続出。
熊本地震直後の開催でもあり、自然の猛威を知る大会に。
大会直前の4月14日、16日と発生した熊本地震の犠牲者を悼び、黙祷から始まったレース。長野地方気象台が暴風警報を出すほどの強風のため、アーチなしでのスタートとなりました。レース中も強風が吹きつけたり、大粒の雨が降ったりと、不安定な天候にランナーは苦戦。完走率は過去最低(当時)を記録しましたが、レース後半には雨も上がり、青空が広がりました。
なお、今大会より3大会連続でサブスリーを達成した参加者を表彰する「3年連続サブスリー表彰」を開始。
なお、今大会より3大会連続でサブスリーを達成した参加者を表彰する「3年連続サブスリー表彰」を開始。
大会日時 | 2016年4月17日(日)8:30START |
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申込者数 | 11,020人 |
出走者数 | 9,530人 |
完走者数 | 8,052人(完走率 84.49%) |
参加国および地域 | 36ヵ国・地域 |
男子1位 | J.チャンチマ(ケニア)2:15:31 |
女子1位 | S.インセルム(エチオピア)2:34:19 |
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- 信濃毎日新聞(4/18朝刊)
2016年の主な出来事
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2015(平成27年)第17回大会
大会名を「長野マラソン」に変更。
善光寺御開帳や北陸新幹線延伸と重なり、沿道には例年以上の応援。
大会名から「長野オリンピック記念」を外し、「長野マラソン」に。
善光寺御開帳と重なり、長野市街地のコース沿いは例年にも増して応援者でにぎわいました。また、3月には北陸新幹線が金沢まで延伸し、JR長野駅も大きく改修されたことから、北陸地方からのアクセスも向上しました。
レース中は雨がぱらつく天候にもかかわらず、沿道からの声援に後押しされ、完走者は過去最多の8,372人を記録しました。
善光寺御開帳と重なり、長野市街地のコース沿いは例年にも増して応援者でにぎわいました。また、3月には北陸新幹線が金沢まで延伸し、JR長野駅も大きく改修されたことから、北陸地方からのアクセスも向上しました。
レース中は雨がぱらつく天候にもかかわらず、沿道からの声援に後押しされ、完走者は過去最多の8,372人を記録しました。
大会日時 | 2015年4月19日(日)8:30START |
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申込者数 | 10,905人 |
出走者数 | 9,558人 |
完走者数 | 8,372人(完走率 87.59%) |
参加国および地域 | 36ヵ国・地域 |
男子1位 | H.チルチル(ケニア)2:11:39 |
女子1位 | B.ジェプケンボイ(ケニア)2:34:02 |
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2015年の主な出来事
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2014(平成26年)第16回大会
春らしい陽気の中、新コースを快走。
大会テーマソング「Drama」が生まれ、カレンダー、完走メダルも贈呈。
春らしい天候に恵まれ、満開の桜や春の花々が咲き誇る中、4カ所の曲がり角を減らした新コースをランナーが駆け抜けました。
前年の第15回大会からスタート会場と32km地点のコース沿いで演奏を始めたバンド・the Canadian Clubは、大会テーマソング「Drama」を書き下ろし制作。ランナーを力強く後押ししました。
また、新たなサービスとして全申込者に「長野マラソンカレンダー」を、全完走者には完走メダルを贈呈しました。
前年の第15回大会からスタート会場と32km地点のコース沿いで演奏を始めたバンド・the Canadian Clubは、大会テーマソング「Drama」を書き下ろし制作。ランナーを力強く後押ししました。
また、新たなサービスとして全申込者に「長野マラソンカレンダー」を、全完走者には完走メダルを贈呈しました。
大会日時 | 2014年4月20日(日)8:30START |
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申込者数 | 10,907人 |
出走者数 | 9,535人 |
完走者数 | 8,295人(完走率 87.00%) |
参加国および地域 | 35ヵ国・地域 |
男子1位 | S.レビッド(ウクライナ)2:13:56 |
女子1位 | A.プロコペワ(ロシア)2:30:56 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/21朝刊)
2014年の主な出来事
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2013(平成25年)第15回大会
異例の雪中レース。
公務員ランナーの川内優輝が日本人初V!
観測史上最も遅い積雪に見舞われ、スタート時の気温は0.4℃。会場やコース上の除雪をスタート前に間に合わせました。
同時開催予定の第9回車いすマラソンは中止。また、米国ボストンマラソン連続爆破テロ事件発生以降、国内では最初の大規模レースだったため、沿道の警備には金属探知機などが導入されました。
男子は川内優輝(埼玉県庁)が寒さを吹き飛ばす激走を見せ、日本人初優勝。この年からNHK・BS1『ラン×スマ 街の風になれ』の番組内企画としてタレントランナーが出場。前年の第14回大会の報告編ムービーで楽曲が起用され、多くのランナーからの反響を受けたバンド・the Canadian Clubがスタート地点で演奏。大会後に公開された「報告編ムービー」は約3ヶ月で18,000回を超える再生回数を記録しました。
同時開催予定の第9回車いすマラソンは中止。また、米国ボストンマラソン連続爆破テロ事件発生以降、国内では最初の大規模レースだったため、沿道の警備には金属探知機などが導入されました。
男子は川内優輝(埼玉県庁)が寒さを吹き飛ばす激走を見せ、日本人初優勝。この年からNHK・BS1『ラン×スマ 街の風になれ』の番組内企画としてタレントランナーが出場。前年の第14回大会の報告編ムービーで楽曲が起用され、多くのランナーからの反響を受けたバンド・the Canadian Clubがスタート地点で演奏。大会後に公開された「報告編ムービー」は約3ヶ月で18,000回を超える再生回数を記録しました。
大会日時 | 2013年4月21日(日)8:30START |
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申込者数 | 10,806人 |
出走者数 | 9,068人 |
完走者数 | 7,784人(完走率 85.84%) |
参加国および地域 | 30ヵ国・地域 |
男子1位 | 川内優輝(埼玉県庁)2:14:27 |
女子1位 | N.プチコワ(ロシア)2:30:40 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/22朝刊)
2013年の主な出来事
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2012(平成24年)第14回大会
2年ぶりに走る喜びを実感。
エントリー数は初めて1万人超に。
東日本大震災と長野県北部地震の影響による第13回大会の中止を受け、2年ぶりの開催。
任意で寄付金1,000円を募るチャリティーエントリーを開始し、両震災の義援金として寄付。震災復興への願いをきっかけに、家族や大切な人への思い、マラソンにかける情熱などを「希望メッセージ」として参加者から募集しました。
エントリー数は初めて1万人を超え、歓迎バナーに彩られた善光寺門前通りを疾走。最高気温18.6℃の晴天の中、男子はフランシス・キビワット(ケニア)が2:09:05のタイムで優勝し、大会記録を更新。女子では妻のポーリーヌ・ワングイ(ケニア)が優勝し、夫婦での初優勝となりました。
任意で寄付金1,000円を募るチャリティーエントリーを開始し、両震災の義援金として寄付。震災復興への願いをきっかけに、家族や大切な人への思い、マラソンにかける情熱などを「希望メッセージ」として参加者から募集しました。
エントリー数は初めて1万人を超え、歓迎バナーに彩られた善光寺門前通りを疾走。最高気温18.6℃の晴天の中、男子はフランシス・キビワット(ケニア)が2:09:05のタイムで優勝し、大会記録を更新。女子では妻のポーリーヌ・ワングイ(ケニア)が優勝し、夫婦での初優勝となりました。
大会日時 | 2012年4月15日(日)8:30START |
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申込者数 | 10,046人 |
出走者数 | 8,769人 |
完走者数 | 7,664人(完走率 87.40%) |
参加国および地域 | 27ヵ国・地域 |
男子1位 | F.キビワット(ケニア)2:09:05 |
女子1位 | P.ワングイ(ケニア)2:34:22 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/16朝刊)
2012年の主な出来事
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2011(平成23年)第13回大会
東日本大震災と県北部地震により大会を中止。
日本をひとつに、世界をひとつに。
2010(平成22年)第12回大会
好条件の天候のもと、完走率が過去最高に。
視覚障がい者の部も新設。
参加定員を8,000人に増やし、好条件の天候に恵まれたレース。男子日本人最高位の高見沢勝(佐久長聖教員クラブ)が歴代日本人最高タイム2:13:04(当時)を記録し、完走率は過去最高(当時)の88.15%を記録しました。
また、視覚障がい者の部を新設し、24人が出走。緊急時に備えた自動体外式除細動器(AED)を担いでランナーと伴走する「AED自転車隊」も導入しました。また、レース走行中、不測の事態に遭遇した際に救助活動等のご協力をいただく「メディカルランナー(ボランティア)」を募集しました。
また、視覚障がい者の部を新設し、24人が出走。緊急時に備えた自動体外式除細動器(AED)を担いでランナーと伴走する「AED自転車隊」も導入しました。また、レース走行中、不測の事態に遭遇した際に救助活動等のご協力をいただく「メディカルランナー(ボランティア)」を募集しました。
大会日時 | 2010年4月18日(日)8:30START |
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申込者数 | 8,717人 |
出走者数 | 7,831人 |
完走者数 | 6,903人(完走率 88.15%) |
参加国および地域 | 29ヵ国・地域 |
男子1位 | N.チェリモ(ケニア)2:10:24 |
女子1位 | L.ウェイトマン(オーストラリア)2:28:48 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/19朝刊)
2010年の主な出来事
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2009(平成21年)第11回大会
スペシャルゲスト高橋尚子さんが初参加。
コース変更後、初の善光寺御開帳で例年以上の人出に。
前年10月に現役を引退したシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さんがスペシャルゲストとして初参加。抜群の人気で、参加ランナーは大いに盛り上がりました。
2004年に長野市の中心市街地を走るコースに変えてから初めて善光寺御開帳と重なり、快晴にも恵まれたため、沿道は例年以上の人出でにぎわいました。
スタート時刻は前年より5分早い8時30分に。表参道を駆け抜けるランナーには大きな声援が飛び交いました。
また、延べ10回以上のお申し込みをいただいた選手(210名)に銀色のゼッケン「シルバーナンバーカード」を贈呈しました。
2004年に長野市の中心市街地を走るコースに変えてから初めて善光寺御開帳と重なり、快晴にも恵まれたため、沿道は例年以上の人出でにぎわいました。
スタート時刻は前年より5分早い8時30分に。表参道を駆け抜けるランナーには大きな声援が飛び交いました。
また、延べ10回以上のお申し込みをいただいた選手(210名)に銀色のゼッケン「シルバーナンバーカード」を贈呈しました。
大会日時 | 2009年4月19日(日)8:30START |
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申込者数 | 8,050 |
出走者数 | 7,241人 |
完走者数 | 6,257人(完走率 86.41%) |
参加国および地域 | 28ヵ国・地域 |
男子1位 | I.マチャリア(ケニア)2:11:21 |
女子1位 | I.ティモフェーエワ(ロシア)2:30:07 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/20朝刊)
2009年の主な出来事
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2008(平成20年)第10回大会
記念すべき第10回大会。
10回連続出場選手にゴールドナンバーカード贈呈。
10回目の開催を迎え、第1回から連続出場している496人の選手に金色のゼッケン「ゴールドナンバーカード」を贈呈。沿道では省資源のために応援小旗の配布が廃止され、前大会から導入した黄色い棒状の風船を一部沿道で配布。
男子は3連覇したネファト・キニャンジュ(ケニア)の1秒差で瀬戸智弘(カネボウ)が2位に。女子はアレブティナ・イワノワ(ロシア)が前年に続いて優勝し、新コース後の女子最高タイム(2:26:38)を更新しました。
男子は3連覇したネファト・キニャンジュ(ケニア)の1秒差で瀬戸智弘(カネボウ)が2位に。女子はアレブティナ・イワノワ(ロシア)が前年に続いて優勝し、新コース後の女子最高タイム(2:26:38)を更新しました。
大会日時 | 2008年4月20日(日)8:35START |
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申込者数 | 8,471人 |
出走者数 | 7,444人 |
完走者数 | 6.335人(完走率 85.10%) |
参加国および地域 | 30ヵ国・地域 |
男子1位 | N.キニャンジュ(ケニア)2:14:17 |
女子1位 | A・イワノワ(ロシア)2:26:38 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/21朝刊)
2008年の主な出来事
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2007(平成19年)第9回大会
好天に恵まれた好条件。
女性ランナーのエントリー数が初めて1000人を超える。
春の日差しの中、沿道には満開の桜が咲き誇り、好条件に恵まれた大会に。女性参加者は年々増え、一般参加の日本人女性ランナーのエントリーは初めて1,000人を超えました。
男子は2年連続でゲオルギー・アンドレーフを1秒差で振り切ったネファト・キニャンジュ(ケニア)が優勝、女子はアレブティナ・イワノワ(ロシア)が初優勝を飾りました。
男子は2年連続でゲオルギー・アンドレーフを1秒差で振り切ったネファト・キニャンジュ(ケニア)が優勝、女子はアレブティナ・イワノワ(ロシア)が初優勝を飾りました。
大会日時 | 2007年4月15日(日)8:35START |
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申込者数 | 7,002人 |
出走者数 | 6,104人 |
完走者数 | 5,261人(完走率 86.19%) |
参加国および地域 | 30ヵ国・地域 |
男子1位 | N.キニャンジュ(ケニア)2:13:31 |
女子1位 | A・イワノワ(ロシア)2:27:48 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/16朝刊)
2007年の主な出来事
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2006(平成18年)第8回大会
前夜からの雨が青空に。
RUNNET「全国ランニング大会100撰」で2年連続1位に!
前夜からの雨が早朝に上がり、青空が広がった絶好のコンディション。男子はネファト・キニャンジュ(ケニア)がゲオルギー・アンドレーフを1秒差で振り切って初優勝し、女子はアルビナ・イワノワ(ロシア)が2連覇。
大会後、RUNNETの「2006年全国ランニング大会100撰」で、2年連続1位に選ばれました。
大会後、RUNNETの「2006年全国ランニング大会100撰」で、2年連続1位に選ばれました。
大会日時 | 2006年4月16日(日)8:35START |
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申込者数 | 6,972人 |
出走者数 | 5,952人 |
完走者数 | 5,167人(完走率 86.81%) |
参加国および地域 | 30ヵ国・地域 |
男子1位 | N.キニャンジュ(ケニア)2:11:18 |
女子1位 | A・イワノワ(ロシア)2:28:52 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/17朝刊)
2006年の主な出来事
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2005(平成17年)第7回大会
長野車いすマラソン初開催。
RUNNET「全国ランニング大会100撰」で初の1位に!
コースを変更して2回目。首都圏からのエントリーが増え、申込者数、出走者数、完走者数ともに過去最多を記録しました。また第1回長野パラリンピック記念長野車いすマラソンを同時開催。51人が出場し、ビッグハットから長野オリンピックスタジアムまでのハーフコースを力走しました。また、知的障がいをもつ原田歩(石川県)は、自身がもつ世界記録を塗り替えるタイムでゴールしました。
大会後、RUNNETの「2005全国ランニング大会100撰」で、初めて1位に選ばれました。
大会後、RUNNETの「2005全国ランニング大会100撰」で、初めて1位に選ばれました。
大会日時 | 2005年4月17日(日)8:35START |
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申込者数 | 6,334人 |
出走者数 | 5,388人 |
完走者数 | 4,593人(完走率 85.24%) |
参加国および地域 | 27ヵ国・地域 |
男子1位 | I.マチャリア(ケニア)2:10:59 |
女子1位 | A・イワノワ(ロシア)2:28:21 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/18朝刊)
2005年の主な出来事
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2004(平成16年)第6回大会
長野市内のみを走る新コースに。
さらなる声援がランナーの後押しに。
長野市東和田の長野運動公園をスタートし、同市篠ノ井の長野オリンピックスタジアムをフィニッシュとする新コースで開催。スタート時刻も30分早まり、8時35分のスタートとなりました。
春の日差しと風速ゼロの好コンディションの中、沿道には例年以上の市民らが応援。善光寺表参道の中央通りで多くの応援がレースを盛り上げました。
春の日差しと風速ゼロの好コンディションの中、沿道には例年以上の市民らが応援。善光寺表参道の中央通りで多くの応援がレースを盛り上げました。
大会日時 | 2004年4月11日(日)8:35START |
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申込者数 | 5,754人 |
出走者数 | 4,954人 |
完走者数 | 4,155人(完走率 83.87%) |
参加国および地域 | 16ヵ国・地域 |
男子1位 | M.タイエ(エチオピア)2:13:09 |
女子1位 | F.ロバ(エチオピア)2:28:05 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/12夕刊)
2004年の主な出来事
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2003(平成15年)第5回大会
山ノ内町スタートが最後に。
全国47都道府県すべてからランナーがエントリー。
前夜から降り続いた雨がスタート時には小降りとなり、雨が降ったり止んだりの天候の中をランナーが力走。定員枠は500人増の5,500名に拡大し、全国47都道府県のすべてから申込者が集まりました。
国際陸連の新規則を満たすため、山ノ内町でのスタートが最後に。男子はシドニー五輪銀メダリストのエリック・ワイナイナ(コニカ)が第2回大会に続き優勝、女子はマディナ・ビクタギロワ(ロシア)が2連覇を達成しました。
国際陸連の新規則を満たすため、山ノ内町でのスタートが最後に。男子はシドニー五輪銀メダリストのエリック・ワイナイナ(コニカ)が第2回大会に続き優勝、女子はマディナ・ビクタギロワ(ロシア)が2連覇を達成しました。
大会日時 | 2003年4月20日(日)9:05START |
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申込者数 | 5,575人 |
出走者数 | 4,714人 |
完走者数 | 4,026人(完走率 85.41%) |
参加国および地域 | 23ヵ国・地域 |
男子1位 | E.ワイナイナ(コニカ)2:12:00 |
女子1位 | M.ビクタギロワ(ロシア)2:28:23 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/21夕刊)
2003年の主な出来事
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2002(平成14年)第4回大会
晴天の好コンディション。
出走者数が初めて5000人を超える。
青空が広がる無風の好コンディションの中、ランナーは沿道の桃や菜の花の景色を満喫しながらコースを駆け抜けました。スタートでは300人ごとのブロックをロープで区切る方式を導入。フィニッシュ会場の南長野運動公園には各国の文化や料理を紹介する「長野マラソンタウン」が設けられ、大会を盛り上げました。
エントリー数は募集定員の5,000人を大幅に上回り、出走者数も初めて5,000人を超えました。
エントリー数は募集定員の5,000人を大幅に上回り、出走者数も初めて5,000人を超えました。
大会日時 | 2002年4月14日(日)9:05START |
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申込者数 | 5,813人 |
出走者数 | 5,086人 |
完走者数 | 4,238人(完走率 83.33%) |
参加国および地域 | 26ヵ国・地域 |
男子1位 | J.チュグワネ(南アフリカ)2:13:23 |
女子1位 | M.ビクタギロワ(ロシア)2:26:09 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/15夕刊)
2002年の主な出来事
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2001(平成13年)第3回大会
暑さとの戦いとなったレース。
女子は大西昭代(積水化学)が優勝し、男女通じ初の日本人1位に。
スタート時に16℃だった気温は徐々に上昇し、最高気温は20℃に。暑さとの戦いとなったレースでした。
男子はマクセル・ムセンビ(ケニア)が独走して優勝。女子は大西昭代(積水化学)が優勝し、男女通じて初の日本人1位に輝きました。
男子はマクセル・ムセンビ(ケニア)が独走して優勝。女子は大西昭代(積水化学)が優勝し、男女通じて初の日本人1位に輝きました。
大会日時 | 2001年4月15日(日)9:05START |
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申込者数 | 5,166人 |
出走者数 | 4,523人 |
完走者数 | 3,751人(完走率 82.93%) |
参加国および地域 | 16ヵ国・地域 |
男子1位 | M.ムセンビ(ケニア)2:12:20 |
女子1位 | 大西昭代(積水化学)2:31:20 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/16朝刊)
2001年の主な出来事
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2000(平成12年)第2回大会
快晴で好条件の大会に。
エムウェーブを1周するコースになり、女子の大会記録が樹立。
晴天でほぼ無風のレース。市民の応援の拠点となったエムウェーブでは、敷地内を1周するコースに変更しました。男子はエリック・ワイナイナ(コニカ)が優勝。女子はエルフィネッシュ・アレム(エチオピア)が優勝し、大会記録(2:24:55)を樹立しました。
大会後、市街地を走るコースへの変更に対するアンケートでは、参加ランナーの8割から「問題ない」との回答を獲得。また、一校一国運動推進ネットワーク会議が発足し、長野オリンピックから続く「一校一国交流活動」を実施し、海外招待選手と地元の子供達が交流しました。
大会後、市街地を走るコースへの変更に対するアンケートでは、参加ランナーの8割から「問題ない」との回答を獲得。また、一校一国運動推進ネットワーク会議が発足し、長野オリンピックから続く「一校一国交流活動」を実施し、海外招待選手と地元の子供達が交流しました。
大会日時 | 2000年4月9日(日)9:05START |
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申込者数 | 4,172人 |
出走者数 | 3,578人 |
完走者数 | 3,152人(完走率 88.09%) |
参加国および地域 | 14ヵ国・地域 |
男子1位 | E.ワイナイナ(コニカ)2:10:17 |
女子1位 | E.アレム(エチオピア)2:24:55 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/10夕刊)
2000年の主な出来事
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1999(平成11年)第1回大会
オリンピックの名を冠し、トップ選手と市民ランナーが走る全国初の大規模マラソンのはじまり。
オリンピックの名を冠した世界唯一のマラソン大会として、男女の国内外トップ選手と市民ランナーが走る全国初の大規模なフルマラソン大会がスタート。長野オリンピック開催の地で市民スポーツの新しい扉を開きました。
時折小雨が降る中で開催された第一回大会は、標高差240.5mという世界に類を見ない下り片道コースを4,306人が疾走。標高差170mを一気に下る最初の5kmはハイペースでしたが、次第に強くなる向かい風にランナーは苦戦しました。
時折小雨が降る中で開催された第一回大会は、標高差240.5mという世界に類を見ない下り片道コースを4,306人が疾走。標高差170mを一気に下る最初の5kmはハイペースでしたが、次第に強くなる向かい風にランナーは苦戦しました。
大会日時 | 1999年4月18日(日)9:10START |
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申込者数 | 5,163人 |
出走者数 | 4,306人 |
完走者数 | 3,834人(完走率 89.04%) |
参加国および地域 | 26ヵ国・地域 |
男子1位 | J.カビガ(ケニア)2:13:26 |
女子1位 | V.エゴロワ(ロシア)2:28:41 |
- 大会ポスター
- 信濃毎日新聞(4/19朝刊)
1999年の主な出来事
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